


酷暑のなかにも季節は変わり、スーパーに行きますと、秋の足音が聞こえるがごとく、新しい果物が所せましと並んでいます。大きく実った果物を見ているとヨハネの福音書15章のみことばが思い出されましたのでご紹介しましょう。
“わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。”
ヨハネの福音書 15章 1〜2節
“わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。”
ヨハネの福音書 15章 4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
新約聖書ヨハネの福音書15章に記される聖書のことばを抜粋してみました。ここでいう「わたし」とはイエス・キリスト、「わたしの父」とは父なる神様です。
お店に並ぶ果物は種類はいろいろありますが、共通していることはどのようなことでしょうか?
ぶどう・梨・リンゴ・名前の知らない果物も、どのような形であったとしても、「枝」にとどまっていない果物はないのです。
①イエス・キリストは身近な例、ぶどうの話を用いて大切な真理を教えておられるのです。
☆イエス・キリストご自身はぶどうの木であること。
☆私たちは枝であること。
☆父なる神様はぶどう園を管理する農夫であること。
②枝に求められていることはどのようなことでしょうか。
枝は大きく成長し立派になること以上に「枝に実を結ぶ」ということです。実を結ばない枝は農夫が刈込をします。枝の何よりの使命は実を結ぶことなのです。実を結ぶために存在しているのが「枝」なのです。
③私は「実」をつけているだろうか。 もう一度、お店に目を向けてみてください。山と積まれた果物は同じ種類でも同じ形、全く同じものは一つも存在していません。一つ一つ、すべて異なるのです。
☆私たちの「実」は、他人と比較するものではありません。
☆大小や形態は異なるかもしれません。あなたの「実」を見つけてください。
私には何一つ見いだせないと言う方がおられますか。
あなたの素晴しい「実」の発見のお手伝いをさせていただきます。
お電話・メールをお待ちしています。またご案内の集会に是非おいでください。

