新春を迎え、インマヌエル松山キリスト教会HPでお会いでき心から嬉しく思います。
多くの人が神社や仏閣に参拝、決意も新たに、願い事をするために実に多くの人々が出かけることでしょう。インマヌエル松山キリスト教会HPにようこそ。心より歓迎いたします。参拝する、拝む、私も以前は、元日に村の氏神様に出かけたことです。
日本は信教の自由の国、どこに行き、何を拝んでも良い、その自由を妨げてはならないと思います。しかし、私は牧師としてこのHPを閲覧頂いたあなたに選択肢を差し上げる責任があると思うのです。
新約聖書マタイの福音書5章3節には
と約束されているのです。
「初詣」で、私たちは、何を願うのでしょうか。「家内安全」、「無病息災」、「交通安全」、「金運」、「厄除」、「恋愛」、「合格祈願」・・・と続くようです。これらの願い事が不要だと否定するつもりはありません。私自身もキリスト教を信じ救われる以前は、除夜の鐘が鳴り、年が明けると雪道をかき分けて山の上にある氏神様に初詣をしていた者です。
あの頃を思い出し、不思議に思うことは、氏神様に辿り着いてさまざまな願いをしました。しかし氏神様を讃え、氏神様に感謝をし、自分の過去を反省し罪を詫び、「氏神様、今年はどのように生きたら良いですか。」と氏神様の御心を伺ったことは一度もありませんでした。自分の願い事の羅列、心を満たそうとする貪欲そのもので「心の貧しい」状態に気付いていませんでした。
聖書がいう「心が貧しい」ということばは「物質的に貧しい」という意味以上に神を畏れ敬う心が無い自己中心の存在であることを自覚する心を意味します。神様に願いごとを羅列するのではなく、「神様、この私は全く哀れな存在です、助けてください。」と神の前に哀れな存在であることに気が付くことなのです。そのとき、私たちの心に天国の平安が与えられるのです。これに勝る恵みがあるでしょうか。
新しい年「天の御国の平安が」心の内に与えられますように。 お電話をください。メールをください。また教会においでください。日曜日の集会に心から歓迎します。お待ちしています。

