2025年10月

 インマヌエル松山キリスト教会のHPにようこそおいでくださいました。 

 自然界もいつしか秋、山々は美しく化粧しているようです。先日、桜並木を歩いていましたら色付いた葉が舞を舞うように落ちて草むらに消えていったのです。美しい桜の木そして花を支えた葉が自分の務めを終え、美しく飾り踊りながら草むらから大地に帰ってゆくようでした。何とすばらしい光景だろうかと感動するとともに、新約聖書ヘブル人ヘの手紙9章27節を思い出しました。

「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」

と記されています。

※ 人間はこの世に生を受け、必ず、例外なく終わりの時が来る。

※ あの桜の木の葉のように美しく、踊りながら散ることができるだろうか。

 子供が暗闇を恐れるように人間が死を恐れるのはなぜ!それは意識するしないに関わらず、肉体の終わり、死には審判があることを知っているからなのです。

裁かれる原因、「私は何も悪いことなどしていない、常識的に生き、生活し、暮らしてきました。私の何が裁かれ、どこが悪いのですか。」と猛反発!当然だと思います。私もそのように思いました。

聖書の神の審判の基準は私たち人間の基準とは違います。聖書の神は、「私たちが創造主である神を認めない、自分中心に生きている(この姿を聖書は“罪”と言います)」という生き方に対して裁きを下されるのです。

聖書の神を認めなくても、楽しい生活を送ることはできたでしょう。しかし年齢とともに体力は衰え失われ、人生の終わりを意識したときに不安と恐怖が襲ってくるのが現実ではないでしょうか。

あの桜の葉のように踊りながら永久の大地に行く道。聖書は明確に示しています。

 聖書をお読みください。インマヌエル松山キリスト教会においでください。またメール、お電話大歓迎です。 神様の祝福が豊かでありますようにお祈りしつつ。さようなら。

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